『徳島科学史雑誌』総目次

by admin | 11月 23rd, 2015

『徳島科学史雑誌』第1号、1982年12月
島尾永康「科学史の楽しみ」『徳島科学史雑誌』第1号、1~2頁、1982年12月
大橋 孝「Oryzanin発見の前夜」『徳島科学史雑誌』第1号、3~8頁、1982年12月
東端 孝「教材としての科学史」『徳島科学史雑誌』第1号、9~26頁、1982年12月
竹田 正「毛管現象の初期の研究者達の実験内容について」『徳島科学史雑誌』第1号、29~30頁、1982年12月
西條敏美「ルイジ・ガルヴァーニ、筋肉運動に対する電気の作用に関する論文(1791)、」『徳島科学史雑誌』第1号、31~35頁、1982年12月
毛利久康「アインシュタインと穴吹町」『徳島科学史雑誌』第1号、36~38頁、1982年12月
猪井達雄「貫との出会い」『徳島科学史雑誌』第1号、39~44頁、1982年12月

『徳島科学史雑誌』第2号、1983年12月
石原 侑「徳島における科学史の研究」『徳島科学史雑誌』第2号、1~3頁、1983年12月
城福 勇「エレキテル瑣談」『徳島科学史雑誌』第2号、4~8頁、1983年12月
松本 泉「理科Ⅰに求められているもの」『徳島科学史雑誌』第2号、9~13頁、1983年12月
村瀬文雄「温度計についての一考察」『徳島科学史雑誌』第2号、14~18頁、1983年12月
西條敏美「重力の逆二乗法則-その検証実験の系譜-」『徳島科学史雑誌』第2号、19~23頁、1983年12月
松本 泉「明治時代の氷砂糖製造法-発明家鈴木藤三郎の業績-」『徳島科学史雑誌』第2号、24~31頁、1983年12月
石原 侑「徳島藩の医師学問所と物産方の設置とその事業」『徳島科学史雑誌』第2号、32~34頁、1983年12月
猪井達雄「廻船の遭難 浦手形の事」『徳島科学史雑誌』第2号、35~37頁、1983年12月
澤田健吉「吉野川の治水史研究の範囲と目的」『徳島科学史雑誌』第2号、38~43頁、1983年12月
佐光昭二「徳島の科学史資料 清重家写本『氣海観瀾』」『徳島科学史雑誌』第2号、44~45頁、1983年12月
江藤幹夫「第30回日本科学史学会印象記」『徳島科学史雑誌』第2号、45頁、1983年12月
大塩邦光「明治24年の天気図を見て」『徳島科学史雑誌』第2号、46頁、1983年12月

『徳島科学史雑誌』第3号、1984年12月
鎌谷親善「阿波藍の技術史研究における課題」『徳島科学史雑誌』第3号、1~4頁、1984年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅰ)-万有引力定数-」『徳島科学史雑誌』第3号、5~13頁、1984年12月
福島義一「徳島県博物学史上の人たち」『徳島科学史雑誌』第3号、14~16頁、1984年12月
澤田健吉「科学技術史研究の一断面-栗本家文書の土質工学的側面-」『徳島科学史雑誌』第3号、17~19頁、1984年12月
猪井達雄「イギリス船が牟岐沖に-藩士の記録-」『徳島科学史雑誌』第3号、頁20~27頁、1984年12月
石原 侑「阿波藩医賀川氏について考えたこと」『徳島科学史雑誌』第3号、28~31頁、1984年12月
石原 侑「阿波出身の賀川家の門弟」『徳島科学史雑誌』第3号、32~34頁、1984年12月
石原 侑「名医来診-阿波藩医のばあい-」『徳島科学史雑誌』第3号、35~38頁、1984年12月
大塩邦光「「雷」に思うこと」『徳島科学史雑誌』第3号、39頁、1984年12月
江藤幹夫「スペイン思い残しの記」『徳島科学史雑誌』第3号、40~41頁、1984年12月
村瀬文雄「リード著『キュリー夫人の素顔』を読んで」『徳島科学史雑誌』第3号、41~42頁、1984年12月
吉谷篤志「鳴門教育大学大学院の「研究の世界」の講義をきいて」『徳島科学史雑誌』第3号、43頁、1984年12月
西條敏美「学会参加記二題」『徳島科学史雑誌』第3号、44頁、1984年12月

『徳島科学史雑誌』第4号、1985年12月
中山 茂「科学史の考え方」『徳島科学史雑誌』第4号、1~7頁、1985年12月
松本 泉「中学生・高校生・大学生を対象とした 「力と運動の理解」に関する調査」『徳島科学史雑誌』第4号、8~14頁、1985年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅱ)-熱の仕事当量-」『徳島科学史雑誌』第4号、15~24頁、1985年12月
江藤幹夫「量子の発見(Ⅰ)」『徳島科学史雑誌』第4号、25~29頁、1985年12月
村上仁士「津波に関する歴史資料の一つの読み方-徳島県浅川を例として-」『徳島科学史雑誌』第4号、30~34頁、1985年12月
澤田健吉「銅山川分水問題による一つの考案-三木熊二小論-」『徳島科学史雑誌』第4号、35~40頁、1985年12月
石原 侑「名医来診補説-桂川甫賢のばあい-」『徳島科学史雑誌』第4号、41頁、1985年12月
石原 侑「「龍骨一家言」について」『徳島科学史雑誌』第4号、42~45頁、1985年12月
石原 侑「「ラランデ訳暦前文」について」『徳島科学史雑誌』第4号、46~49頁、1985年12月
石原 侑「第31回帝国議会に提出した中川虎之助代議士の鳴門架 橋・渦潮発電の建議案」『徳島科学史雑誌』第4号、50頁、1985年12月
石原 侑「史料採訪記」『徳島科学史雑誌』第4号、51~53頁、1985年12月
石原 侑「姓名のこと」『徳島科学史雑誌』第4号、54頁、1985年12月
松丸忠仁「池田の片隅に思う」『徳島科学史雑誌』第4号、55頁、1985年12月
西條敏美「化学史学会1985年度年会に出席して」『徳島科学史雑誌』第4号、56頁、1985年12月

『徳島科学史雑誌』第5号、1986年12月
矢島祐利「アラブの人名」『徳島科学史雑誌』第5号、1頁、1986年12月
片岡義雄「脚気史に見た明治24年の北海道事情」『徳島科学史雑誌』第5号、2~6頁、1986年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅲ)-Planck定数-」『徳島科学史雑誌』第5号、7~14頁、1986年12月
松本 泉「教員養成学部理科教官を対象にした「理科教育と科学史」に関する調査」『徳島科学史雑誌』第5号、15~23頁、1986年12月
松本 泉「教員養成学部学部学生を対象にした「理科教育と科学史」に関する調査」『徳島科学史雑誌』第5号、24~30頁、1986年12月
澤田健吉「徳島藩の大井川御手伝普請-吉野川の第十堰普請とのかかわり-」『徳島科学史雑誌』第5号、31~36頁、1986年12月
石原 侑「徳島の科学史資料「阿波国産物絵形帳」『徳島科学史雑誌』第5号、37~39頁、1986年12月
石原 侑「徳島の科学史資料 篠田秀道訳述「解体説約」」『徳島科学史雑誌』第5号、40頁、1986年12月
資料
石原 侑「小原春造「竜骨一家言」について(承前)」『徳島科学史雑誌』第5号、41~43頁、1986年12月
石原 侑「小出長十郎「炮述玉道真法」について」『徳島科学史雑誌』第5号、44~45頁、1986年12月
石原 侑「中央標準時などの法令」『徳島科学史雑誌』第5号、46頁、1986年12月
石原 侑「エフェドリンの発見」『徳島科学史雑誌』第5号、47頁、1986年12月
中原正治「日本化学会第52春季年会の化学教育部会」『徳島科学史雑誌』第5号、48頁、1986年12月
岡崎達也「工学部化学系1年次生への化学技術史教育の経験」『徳島科学史雑誌』第5号、49~52頁、1986年12月
金森幸夫「追悼、城福勇先生(1913~1986)」『徳島科学史雑誌』第5号、53~55頁、1986年12月

『徳島科学史雑誌』第6号、1987年12月
林 良重「私と科学史との出会い」『徳島科学史雑誌』第6号、1頁、1987年12月
澤田健吉「『夢渓筆談』について」『徳島科学史雑誌』第6号、2~5頁、1987年12月
松本 泉「自主学習を通した科学史の学習」『徳島科学史雑誌』第6号、6~8頁、1987年12月
田中昭太郎「量の概念の形成-ルカジェビッツの場合-」『徳島科学史雑誌』第6号、9~14頁、1987年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅳ)-光速度-」『徳島科学史雑誌』第6号、15~26頁、1987年12月
岡崎達也「近代化学技術史あれこれ-F.Haber,C.Bosch,C.Weizmannの生き方について-」『徳島科学史雑誌』第6号、27~34頁、1987年12月
石原 侑「徳島の科学史資料 徳島市立図書館蔵『阿淡産志』」『徳島科学史雑誌』第6号、35~37頁、1987年12月
石原 侑「小出長十郎「円理算経自序」および遠藤利貞「円理算経引」について」『徳島科学史雑誌』第6号、38~40頁、1987年12月
石原 侑「阿波のトキ(Nipponia nippon)」『徳島科学史雑誌』第6号、41頁、1987年12月
石原 侑「東邦レーヨン徳島工場における技術開発」『徳島科学史雑誌』第6号、42頁、1987年12月
松本 泉「1987年度化学史学会研究発表会に参加して」『徳島科学史雑誌』第6号、43頁、1987年12月
藤本秀彰「透磁率と磁界の強さ-B=μHの解釈-」『徳島科学史雑誌』第6号、44~47頁、1987年12月

『徳島科学史雑誌』第7号、1988年12月
鈴木善次「科学史研究と科学教育研究」『徳島科学史雑誌』第7号、1頁、1988年12月
澤田健吉「近代の紀行文から読みとれる科学性」『徳島科学史雑誌』第7号、2~9頁、1988年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅴ)-音速-」『徳島科学史雑誌』第7号、10~15頁、1988年12月
石原 侑「近世阿波科学史概観}『徳島科学史雑誌』第7号、16~23頁、1988年12月
石原 侑「赤沢時之蔵「阿波国産物絵形手形帳」・徳島市立図書館蔵「阿淡産志」補記」『徳島科学史雑誌』第7号、24~27頁、1988年12月
片岡義雄「井上肇堂先生の墓碑銘に就いて」『徳島科学史雑誌』第7号、28~31頁、1988年12月
翻訳
田中昭太郎「ソボチンスキー「追悼ウカシェーヴィッチ」(Ⅰ)」『徳島科学史雑誌』第7号、32~47頁、1988年12月
石原 侑「ルカーシェビッチ記法」『徳島科学史雑誌』第7号、48頁、1988年12月
石原 侑「煙草刻み機の発明者」『徳島科学史雑誌』第7号、49頁、1988年12月
藤本秀彰「運動状態の表し方」『徳島科学史雑誌』第7号、50~51頁、1988年12月
西條敏美「物理定数の研究者 芝亀吉氏のこと」『徳島科学史雑誌』第7号、52~53頁、1988年12月
石原 侑「史料採訪記-1988-」『徳島科学史雑誌』第7号、54頁、1988年12月

『徳島科学史雑誌』第8号、1989年12月
安江政一「科学史研究と地方史資料古文書類」『徳島科学史雑誌』第8号、1頁、1989年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅵ)-重力加速度-」『徳島科学史雑誌』第8号、2~8頁、1989年12月
片岡義雄「先妣柴田氏碑」『徳島科学史雑誌』第8号、9~11頁、1989年12月
石原 侑「近世阿波科学史概観(つづき)」『徳島科学史雑誌』第8号、12~18頁、1989年12月
石原 侑「『阿波誌』(土産編)補訂」『徳島科学史雑誌』第8号、19~22頁、1989年12月
石原 侑「小原春造「逍遙漫録」について」『徳島科学史雑誌』第8号、23~25頁、1989年12月
田中昭太郎「ソボチンスキー「追悼ウカシェーヴィッチ」(Ⅱ)」『徳島科学史雑誌』第8号、26~39頁、1989年12月
西條敏美「日本科学史学会第36回年会に出席して」『徳島科学史雑誌』第8号、40頁、1989年12月
木村 章「別子銅山に残してきた技術者としての喜び」『徳島科学史雑誌』第8号、41~45頁、1989年12月
石原 侑「ふたたび、姓名のこと」『徳島科学史雑誌』第8号、46頁、1989年12月
石原 侑「鉦砂の湯沸」『徳島科学史雑誌』第8号、47頁、1989年12月

『徳島科学史雑誌』第9号、1990年12月
岡部昭彦「10万都市にあるタイムカプセル」『徳島科学史雑誌』第9号、1頁、1990年12月
江藤幹夫「『形態と象徴』を読む-ゲーテの色彩論について-」『徳島科学史雑誌』第9号、2~3頁、1990年12月
澤田健吉「ダーウィンとゲーテ-旅行記からわかる自然現象の見方の違い-」『徳島科学史雑誌』第9号、4~9頁、1990年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅶ)-電気素量-」『徳島科学史雑誌』第9号、10~23頁、1990年12月
石原 侑「吉野川上流における鉱毒害史々料を求めて」『徳島科学史雑誌』第9号、24~28頁、1990年12月
片岡義雄「四十宮東洲の墓碑銘」『徳島科学史雑誌』第9号、29~31頁、1990年12月
石原 侑「小島好謙の『地震考』について」『徳島科学史雑誌』第9号、32~35頁、1990年12月
田中昭太郎「ウカシェーヴィッチ『数学的論理学の基礎』(1)」『徳島科学史雑誌』第9号、36~47頁、1990年12月
三原茂雄「素数を表す多項式」『徳島科学史雑誌』第9号、48頁、1990年12月
木村 章「東邦人造繊維(現東邦レーヨン株式会社)における大豆蛋白抽出工場建設の歴史」『徳島科学史雑誌』第9号、49~54頁、1990年12月
石原 侑「青果物の販売開始日規制にみる旧暦の性格」『徳島科学史雑誌』第9号、55頁、1990年12月
石原 侑「砂川野水『農術鑑正記』」『徳島科学史雑誌』第9号、56頁、1990年12月
石原 侑「阿波晩茶」『徳島科学史雑誌』第9号、57頁、1990年12月
石原 侑「阿波における種痘のはじまり」『徳島科学史雑誌』第9号、58頁、1990年12月

『徳島科学史雑誌』第10号、1991年12月
澤田健吉「「宜しく新道(国道32号の原型)を利用するの考察をなすべし」をいかに読むか」『徳島科学史雑誌』第10号、1~4頁、1991年12月
山田俊弘「ニコラウス・ステノの洞穴に関する手紙(Ⅰ)-グレスタ渓谷の洞穴について-、付:翻訳」『徳島科学史雑誌』第10号、5~10頁、1991年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅷ)-電子の比電荷e/m-」『徳島科学史雑誌』第10号、11~25頁、1991年12月
大野正雄「高校物理への物理学史導入の方法を探る-課題研究の中から-」『徳島科学史雑誌』第10号、26~27頁、1991年12月
河野幸夫「明治期の月ヶ谷温泉-山本家記録による-」『徳島科学史雑誌』第10号、28~29頁、1991年12月
片岡義雄「儒学者答島搭斎の墓碑銘に就いて」『徳島科学史雑誌』第10号、30~32頁、1991年12月
資料
人見久城「米国理科教科書「Physical Science」の科学読み物爛について」『徳島科学史雑誌』第10号、33~35頁、1991年12月
田中昭太郎「ウカシェーヴィッチ『数学的論理学の基礎』(2)」『徳島科学史雑誌』第10号、36~50頁、1991年12月
木村 章「徳島における巻尺製造の歴史と私」『徳島科学史雑誌』第10号、51~59頁、1991年12月
石原 侑「日本における種痘のはじまり」『徳島科学史雑誌』第10号、60頁、1991年12月
石原 侑「欹器というもの」『徳島科学史雑誌』第10号、61頁、1991年12月
末善 守「地球を測るのは難しい」『徳島科学史雑誌』第10号、62~63頁、1991年12月
石田純郎「ヨーロッパの科学史博物館について」『徳島科学史雑誌』第10号、64~65頁、1991年12月
矢島一夫「月曜日ってなーに」『徳島科学史雑誌』第10号、66頁、1991年12月
山崎俊雄/矢島祐利/岡部昭彦/高田誠二/中村邦光/鈴木善次/石山 洋/林 良重/鎌谷親善/島尾永康/首藤郁夫「創立10周年をお祝いして」『徳島科学史雑誌』第10号、71~76頁、1991年12月
石原 侑「産業博物館・科学技術博物館を見て」『徳島科学史雑誌』第10号、76~77頁、1991年12月
田中昭一郎「科学史との出会い」『徳島科学史雑誌』第10号、78~81頁、1991年12月
村瀬文雄「10年目の感想」『徳島科学史雑誌』第10号、82頁、1991年12月
毛利久康「私の宝物」『徳島科学史雑誌』第10号、83頁、1991年12月
江藤幹夫「この頃思うこと」『徳島科学史雑誌』第10号、84頁、1991年12月
西條敏美「徳島科学史研究会の現状と課題-10年の歩みから-」『徳島科学史雑誌』第10号、85~88頁、1991年12月

『徳島科学史雑誌』第11号、1992年12月
澤田健吉「賢治の「グズコーブドリの伝記」の科学的側面」『徳島科学史雑誌』第11号、1~5頁、1992年12月
安東久幸「生物教科書史にみる“生物の分類”の分類学史的考察」『徳島科学史雑誌』第11号、6~10頁、1992年12月
山田俊弘「ニコラウス・ステノの洞穴に関する手紙(Ⅱ)-モンコデノの洞穴について-」『徳島科学史雑誌』第11号、11~16頁、1992年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅸ)-Avogadro定数NA-」『徳島科学史雑誌』第11号、17~28頁、1992年12月
片岡義雄「林芳淵の墓碑銘」『徳島科学史雑誌』第11号、29~30頁、1992年12月
三木田嘉男・木村雅彦「幕末の頃の錘の熱処理について」『徳島科学史雑誌』第11号、31~34頁、1992年12月
人見久城「米国理科教科書「Life Science」の科学読み物爛について」『徳島科学史雑誌』第11号、35~38頁、1992年12月
石原 侑「伊能忠敬の淡路測量記事について」『徳島科学史雑誌』第11号、39~42頁、1992年12月
西條敏美「三宅速(1867~1945)の履歴書」『徳島科学史雑誌』第11号、43~47頁、1992年12月
田中昭太郎「ウカシェーヴィッチ『数学的論理学の基礎』(3)」『徳島科学史雑誌』第11号、48~55頁、1992年12月
石原 侑「種痘のこと」『徳島科学史雑誌』第11号、56頁、1992年12月
石原 侑「欹器あるいは○器というもの」『徳島科学史雑誌』第11号、57頁、1992年12月

『徳島科学史雑誌』第12号、1993年12月
安東久幸「生物教科書史にみる“細胞”の細胞学史的考察」『徳島科学史雑誌』第12号、1~7頁、1993年12月
西條敏美「物理定数の探究史(Ⅹ)-大気圧(標準大気圧P0)-」『徳島科学史雑誌』第12号、8~19頁、1993年12月
三木田嘉男「本県における大和久先生の講演と技術指導の記録」『徳島科学史雑誌』第12号、20~26頁、1993年12月
石原 侑「徳島の産業史資料「阿洲人造物」について」『徳島科学史雑誌』第12号、27~33頁、1993年12月
田中昭太郎「ウカシェーヴィッチ『数学的論理学の基礎』(4)」『徳島科学史雑誌』第12号、34~47頁、1993年12月
石田純郎「科学史研究方法論総論私考」『徳島科学史雑誌』第12号、48~51頁、1993年12月
澤田健吉「「吉野川百年史」の出版に寄せて」『徳島科学史雑誌』第12号、52~53頁、1993年12月
石原 侑「小出長十郎の弾道研究と「算法対数表」について」『徳島科学史雑誌』第12号、54~56頁、1993年12月

『徳島科学史雑誌』第13号、1994年12月
田中昭太郎「会長を引き継ぐ挨拶」『徳島科学史雑誌』第13号、1頁、1994年12月
安東久幸「生物教科書にみる“呼吸”の生理学史及び生化学史的考察」『徳島科学史雑誌』第13号、2~10頁、1994年12月
山田俊弘「小藤文次郎の「阿波地理小誌」について」『徳島科学史雑誌』第13号、11~21頁、1994年12月
西條敏美「物理定数の探究史(ⅩⅠ)-Rydberg定数R-」『徳島科学史雑誌』第13号、22~29頁、1994年12月
片岡義雄「林随仙翁の墓碑銘」『徳島科学史雑誌』第13号、30~32頁、1994年12月
石原 侑「阿波出身の華岡家の門弟」『徳島科学史雑誌』第13号、33~34頁、1994年12月
人見久城「米国理科教科書「Earth Science」の科学読み物爛について」『徳島科学史雑誌』第13号、35~39頁、1994年12月
澤田健吉「技術史の講義を初めてみて」『徳島科学史雑誌』第13号、40~44頁、1994年12月
吉田哲二「科学史と私」『徳島科学史雑誌』第13号、45~46頁、1994年12月
石原 侑「阿波出身の華岡家の門人」『徳島科学史雑誌』第13号、47~48頁、1994年12月
石原 侑「日付のこと、付年齢・時刻のこと」『徳島科学史雑誌』第13号、49~50頁、1994年12月
菊池俊彦「四国支部の発足を祝って」『徳島科学史雑誌』第13号、51頁、1994年12月
奥山修平「四国支部の発展を期待して」『徳島科学史雑誌』第13号、51頁、1994年12月
日野川静枝「四国支部の発展を願って」『徳島科学史雑誌』第13号、51~52頁、1994年12月
菊池俊彦「日本科学史の研究上での誤りと反省」『徳島科学史雑誌』第13号、53~55頁、1994年12月
続木章三「過ぎ行く夏の終わりに 四国支部総会に参加して」『徳島科学史雑誌』第13号、56頁、1994年12月
小林良生「徳島科学史研究会初参加」『徳島科学史雑誌』第13号、57頁、1994年12月
斎藤尚武「四国支部設立大会に出席して」『徳島科学史雑誌』第13号、58頁、1994年12月
石原 侑「挨拶」『徳島科学史雑誌』第13号、59頁、1994年12月
西條敏美「四国支部設立にいたる経過と課題」『徳島科学史雑誌』第13号、60~62頁、1994年12月

『徳島科学史雑誌』第14号、1995年12月
安東久幸「「生物ⅠB」にみる生物学史に関する分析的研究」『徳島科学史雑誌』第14号、1~15頁、1995年12月
西條敏美「物理定数の探究史(ⅩⅡ)-Boltzmann定数k-」『徳島科学史雑誌』第14号、16~20頁、1995年12月
東條英機「阿波正阿彌鍔について」『徳島科学史雑誌』第14号、21~23頁、1995年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-研究の視点と方法-」『徳島科学史雑誌』第14号、24~26頁、1995年12月
石原 侑「小出長十郎・由岐太の伝記資料(日本学士院蔵)について」『徳島科学史雑誌』第14号、27~31頁、1995年12月
木村 章「想禹績」『徳島科学史雑誌』第14号、32~34頁、1995年12月
石原 侑「加藤正と電気学史の研究」『徳島科学史雑誌』第14号、35~35頁、1995年12月
三原茂雄「『不思議の国のアリス』の数学的解釈-無限の世界への招待-」『徳島科学史雑誌』第14号、36~38頁、1995年12月
澤田健吉「技術史の講義を初めてみてⅡ」『徳島科学史雑誌』第14号、39~44頁、1995年12月
松丸忠仁「雑感あれこれ」『徳島科学史雑誌』第14号、45頁、1995年12月

『徳島科学史雑誌』第15号、1996年12月
安東久幸「「生物Ⅱ」にみる生物学史に関する分析的研究」『徳島科学史雑誌』第15号、1~7頁、1996年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-修学観-」『徳島科学史雑誌』第15号、8~12頁、1996年12月
東條英機「近世武家轡について-阿波の轡師を中心に-」『徳島科学史雑誌』第15号、13~16頁、1996年12月
亀井節夫「象と日本人-徳島での事例をもとに-」『徳島科学史雑誌』第15号、17~29頁、1996年12月
石原 侑「小出長十郎『算法対数表』再考」『徳島科学史雑誌』第15号、30~31頁、1996年12月
石原 侑「小島好謙『地震考』を見て」『徳島科学史雑誌』第15号、32~33頁、1996年12月
菊池俊彦「四国支部・徳島科学史研究会の皆様への謝辞」『徳島科学史雑誌』第15号、34頁、1996年12月
西條敏美「日本科学史学会第43回徳島大会を終えて」『徳島科学史雑誌』第15号、35~37頁、1996年12月
竹重達人「阿波の心」『徳島科学史雑誌』第15号、38頁、1996年12月
杉山滋郎「三拍子揃った徳島での年会」『徳島科学史雑誌』第15号、39頁、1996年12月
鈴木史郎「日本科学史学会参加記」『徳島科学史雑誌』第15号、39頁、1996年12月
大久保茂男「1996年科学史学会(徳島)に参加して」『徳島科学史雑誌』第15号、40頁、1996年12月
田中昭太郎「学校教育への有益性」『徳島科学史雑誌』第15号、41頁、1996年12月

『徳島科学史雑誌』第16号、1997年12月
安東久幸「「化学Ⅱ」にみる化学史に関する分析的研究」『徳島科学史雑誌』第16号、1~8頁、1997年12月
続木章三「近世日本における鉱山の揚水技術-別子銅山・佐渡金山の湧水処理を中心に-」『徳島科学史雑誌』第16号、9~20頁、1997年12月
田中昭太郎「和算の改造・和算教育の改変」『徳島科学史雑誌』第16号、21~30頁、1997年12月
小林良生「讃岐漆器・キンマ(蒟醤)の起源」『徳島科学史雑誌』第16号、31~34頁、1997年12月
那須俊一郎「マッハ原理と一般相対論・シアマ理論」『徳島科学史雑誌』第16号、35~37頁、1997年12月
三星孝輝「「慣性の法則」をいかに教えたら良いか」『徳島科学史雑誌』第16号、38~44頁、1997年12月
木村 章「鎌田弥寿治先生小伝」『徳島科学史雑誌』第16号、45~49頁、1997年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-数学観-」『徳島科学史雑誌』第16号、50~56頁、1997年12月
石原 侑「『阿淡産志』の「例言」について」『徳島科学史雑誌』第16号、57~58頁、1997年12月
岡本正志「英国におけるO.Lodge資料について」『徳島科学史雑誌』第16号、59~63頁、1997年12月
山田俊弘「ライエル-ハットン200年会議」『徳島科学史雑誌』第16号、64~66頁、1997年12月
樋浦明夫「形は自然をどこまで反映するか-侵害受容性一次知覚 ニューロンの中枢性終末のシナプス構造を例にして-」『徳島科学史雑誌』第16号、67~70頁、1997年12月
石原 侑「ふたたび、日付のこと」『徳島科学史雑誌』第16号、71頁、1997年12月
三原茂雄「山本柳亭について」『徳島科学史雑誌』第16号、72頁、1997年12月
西條敏美「エアリー関数雑感」『徳島科学史雑誌』第16号、73頁、1997年12月

『徳島科学史雑誌』第17号、1998年12月
続木章三「C.Huygensによる等時曲線の幾何学的解析について」『徳島科学史雑誌』第17号、1~4頁、1998年12月
安東久幸「第二次世界大戦前までの化学教育にみる化学史の分析と事例研究」『徳島科学史雑誌』第17号、5~11頁、1998年12月
三星孝輝「「慣性の法則」をいかに教えたら良いか-慣性の法則の成立過程、新科学哲学、現代理科教育論-」『徳島科学史雑誌』第17号、12~15頁、1998年12月
西條敏美「原子の質量と大きさ-測り方の科学史(Ⅰ)-」『徳島科学史雑誌』第17号、16~24頁、1998年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-行政・教育観(1)-」『徳島科学史雑誌』第17号、25~32頁、1998年12月
亀井節夫「山塩を追った男たち」『徳島科学史雑誌』第17号、33~40頁、1998年12月
石原 侑「小島好謙『地震考』付録について」『徳島科学史雑誌』第17号、41~43頁、1998年12月
樋浦明夫「旅のメキシコ」『徳島科学史雑誌』第17号、44~49頁、1998年12月
石原 侑「東京にある著名和算家の墓を訪ねて」『徳島科学史雑誌』第17号、50頁、1998年12月
小林良生「泰緬鉄道建設部隊が植えたカジノキ」『徳島科学史雑誌』第17号、51~54頁、1998年12月

『徳島科学史雑誌』第18号、1999年12月
続木章三「振り子の周期と等時性-単振り子とサイクロイド振り子を応用したGalileiとHuygensの振り子時計-」『徳島科学史雑誌』第18号、1~7頁、1999年12月
小林良生「タイの製糖業史と讃岐の製糖業史」『徳島科学史雑誌』第18号、8~10頁、1999年12月
原田良輔「木下季吉の生い立ち」『徳島科学史雑誌』第18号、11~15頁、1999年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-行政・教育観(2)-」『徳島科学史雑誌』第18号、16~21頁、1999年12月
石原 侑「内田五観による「ボーデの法則」の紹介について」『徳島科学史雑誌』第18号、22~23頁、1999年12月
石原 侑「小出長十郎『算道雑○(話)』(日本学士院蔵No.5904)について」『徳島科学史雑誌』第18号、24頁、1999年12月
石原 侑「小出長十郎『古今算学階梯』について」『徳島科学史雑誌』第18号、25~27頁、1999年12月
安東久幸「教育関係の大学における「科学史」の視点と事例研究」『徳島科学史雑誌』第18号、28~34頁、1999年12月
谷中登希男「椿の資料研究 第一報 椿の研究資料一覧」『徳島科学史雑誌』第18号、35~38頁、1999年12月
石原 侑「小学校教科書の円の面積の公式」『徳島科学史雑誌』第18号、39~40頁、1999年12月
西條敏美「高校新科目「理科基礎」設置の背景とその内容」『徳島科学史雑誌』第18号、41~43頁、1999年12月

『徳島科学史雑誌』第19号、2000年12月
続木章三「近世宇部炭田における南蛮車」『徳島科学史雑誌』第19号、1~4頁、2000年12月
原田良輔「木下季吉の学生時代」『徳島科学史雑誌』第19号、5~9頁、2000年12月
西條敏美「地球の形と大きさ-測り方の科学史(Ⅱ)-」『徳島科学史雑誌』第19号、10~20頁、2000年12月
大島耕二「Hilbertの第四の問題について」『徳島科学史雑誌』第19号、21~32頁、2000年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-数学・数学教育-」『徳島科学史雑誌』第19号、33~41頁、2000年12月
石原 侑「小出長十郎・小出由岐太著作仮目録」『徳島科学史雑誌』第19号、42~45頁、2000年12月
石原 侑「間重富『垂球精義』について(1)」『徳島科学史雑誌』第19号、46~48頁、2000年12月
安東久幸「生涯学習における科学史の導入の提案」『徳島科学史雑誌』第19号、49~55頁、2000年12月
西條敏美「追悼 林由重先生」『徳島科学史雑誌』第19号、56~57頁、2000年12月
石原 侑「暦塚」『徳島科学史雑誌』第19号、58頁、2000年12月

『徳島科学史雑誌』第20号、2001年12月
安東久幸「小学校総合学習における科学史の扱いの検討」『徳島科学史雑誌』第20号、1~5頁、2001年12月
西條敏美「地球の年齢-測り方の科学史(Ⅲ)-」『徳島科学史雑誌』第20号、6~14頁、2001年12月
続木章三「James Wattの平行運動機構の解析」『徳島科学史雑誌』第20号、15~20頁、2001年12月
原田良輔「木下季吉の英国留学時代」『徳島科学史雑誌』第20号、21~23頁、2001年12月
田中昭太郎「和田寧『円理』から小出長十郎『円理算経』への継承-『円理算経 統元之巻』-」『徳島科学史雑誌』第20号、24~27頁、2001年12月
石原 侑「『円理算経評論』(日本学士院蔵No.66)」『徳島科学史雑誌』第20号、28~29頁、2001年12月
木村 章「佛人鉱山技師コワニエは本当に徳島に来たのか」『徳島科学史雑誌』第20号、30~31頁、2001年12月
中村邦光「「多様性の共存!」を目指して」『徳島科学史雑誌』第20号、32頁、2001年12月
高橋哲郎「市民教養の科学教育と科学史」『徳島科学史雑誌』第20号、32頁、2001年12月
石山 洋「21世紀のご発展を祈って」『徳島科学史雑誌』第20号、33~34頁、2001年12月
西尾成子「徳島科学史研究会創立20周年おめでとうございます」『徳島科学史雑誌』第20号、34頁、2001年12月
山田大隆「徳島科学史研究会創立20周年によせて-地方科学史研究の進展を願って-」『徳島科学史雑誌』第20号、34~36頁、2001年12月
柏木聞吉「『徳島科学史雑誌』とインターネット」『徳島科学史雑誌』第20号、36頁、2001年12月
島尾永康「刊行20年を祝す」『徳島科学史雑誌』第20号、37頁、2001年12月
高田誠二「徳島科学史20周年 末ながく記念写真を!」『徳島科学史雑誌』第20号、37~38頁、2001年12月
首藤郁夫「お喜びと期待を」『徳島科学史雑誌』第20号、38頁、2001年12月
菊池俊彦「祝 徳島科学史研究会20周年“随感”」『徳島科学史雑誌』第20号、38頁、2001年12月
田中昭太郎「遅れ馳せの私と本会20周年」『徳島科学史雑誌』第20号、39~42頁、2001年12月
澤田健吉「二十年の節目にさいし」『徳島科学史雑誌』第20号、43~44頁、2001年12月
安東久幸「20周年に際して」『徳島科学史雑誌』第20号、44頁、2001年12月
小林良生「徳島科学史研究会に対する私的な期待」『徳島科学史雑誌』第20号、45~47頁、2001年12月
岡本正志「場の存在が個を生かす-20周年によせて-」『徳島科学史雑誌』第20号、48頁、2001年12月
続木章三「小さな地方学会の果たす役割-新たな30周年を目指して-」『徳島科学史雑誌』第20号、48頁、2001年12月
西條敏美「徳島科学史研究会の20年」『徳島科学史雑誌』第20号、49~55頁、2001年12月

『徳島科学史雑誌』第21号、2002年12月
上垣起一「明治以降の別子銅山の近代化と新居浜」『徳島科学史雑誌』第21号、1~6頁、2002年12月
続木章三「垂揺球儀の構造と経度の測定」『徳島科学史雑誌』第21号、7~12頁、2002年12月
原田良輔「木下季吉の東大在職時代」『徳島科学史雑誌』第21号、13~18頁、2002年12月
安東久幸「高等学校「理科基礎」にみられる化学史の分析」『徳島科学史雑誌』第21号、19~24頁、2002年12月
西條敏美「地球の質量-測り方の科学史(Ⅳ)-」『徳島科学史雑誌』第21号、25~30頁、2002年12月
西條敏美「月までの距離とその大きさ-測り方の科学史(Ⅴ)-」『徳島科学史雑誌』第21号、31~36頁、2002年12月
小林良生「日本のポタニカル・アートの歴史についての考察」『徳島科学史雑誌』第21号、37~44頁、2002年12月
小林良生「四国のポタニカル・アーティストについて」『徳島科学史雑誌』第21号、45~49頁、2002年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-『円理算経』は和田寧『円理唇口』をどのように継承しているか-」『徳島科学史雑誌』第21号、50~58頁、2002年12月
木村 章「徳島付近を通過した台風の気圧変化の記録と眼の軌跡」『徳島科学史雑誌』第21号、59~60頁、2002年12月

『徳島科学史雑誌』第22号、2003年12月
小林良生「紙漉き技術の原型について」『徳島科学史雑誌』第22号、1~7頁、2003年12月
那須俊一郎「素粒子の「力学模型」-別のアイソスピンの導入-」『徳島科学史雑誌』第22号、8~10頁、2003年12月
田中昭太郎「ヘロン三角形の構成公式の歴史-ヘロンからブラフマグブタまで-」『徳島科学史雑誌』第22号、11~16頁、2003年12月
安東久幸「高等学校「理科基礎」にみられる地学史の考察」『徳島科学史雑誌』第22号、17~22頁、2003年12月
続木章三「スターリングエンジンの作動原理とT型クランクの運動解析」『徳島科学史雑誌』第22号、23~26頁、2003年12月
西條敏美「太陽までの距離-測り方の科学史(Ⅵ)-」『徳島科学史雑誌』第22号、27~35頁、2003年12月
西條敏美「人物写真・肖像画の著作権について」『徳島科学史雑誌』第22号、36~38頁、2003年12月

『徳島科学史雑誌』第23号、2004年12月
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術について」『徳島科学史雑誌』第23号、1~5頁、2004年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-和田寧『円理順逆小成』から小出長十郎『円理算経』へ-」『徳島科学史雑誌』第23号、6~12頁、2004年12月
安東久幸「高等学校「理科基礎」にみられる科学史の考察」『徳島科学史雑誌』第23号、13~18頁、2004年12月
西條敏美「恒星までの距離-測り方の科学史(Ⅶ-」『徳島科学史雑誌』第23号、19~26頁、2004年12月
続木章三「不等間隔の目盛幅をもつ秤についての考察」『徳島科学史雑誌』第23号、27~32頁、2004年12月
三星孝輝「オームが抱いていた「電圧概念」を原論文より探る-「電圧概念」を正しく教えるために-」『徳島科学史雑誌』第23号、33~43頁、2004年12月
木村 章「気になる四国電力(株)および電源開発(株)から放出される水銀の行方に就いて」『徳島科学史雑誌』第23号、44~46頁、2004年12月
樋浦明夫「F.エンゲルスの生家を訪ねて-若きエンゲルスの追想-」『徳島科学史雑誌』第23号、47~58頁、2004年12月

『徳島科学史雑誌』第24号、2005年12月
矢野 忠「武谷三男と三段階論」『徳島科学史雑誌』第24号、1~8頁、2005年12月
続木章三「Ch.A.クーロンの「摩擦の法則」について-『簡単な諸機械の理論』の実験結果-」『徳島科学史雑誌』第24号、9~16頁、2005年12月
三星孝輝「オーム理論の仮説であるガルヴァーニ回路(電気回路)における検電器力(電位)分布のコールラウッシュによる直接的検証実験及びその簡易(定性的)再現実験-「電圧概念」を正しく教えるために(その2)-」『徳島科学史雑誌』第24号、17~24頁、2005年12月
西條敏美「太陽の温度-測り方の科学史(Ⅷ)-」『徳島科学史雑誌』第24号、25~28頁、2005年12月
塩谷元紹「「貝殻をもつ魚」の同定問題-聖ヒルデガルトの『魚類誌』第19章より-」『徳島科学史雑誌』第24号、29~36頁、2005年12月
小林良生「製紙技術の西伝におけるイスラーム圏文化の影響」『徳島科学史雑誌』第24号、37~44頁、2005年12月
安東久幸「科学的思考形成に関する科学史教育への提言」『徳島科学史雑誌』第24号、45~50頁、2005年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-応の概念の進展 和田寧と小出長十郎-」『徳島科学史雑誌』第24号、51~58頁、2005年12月
中村邦光「下平和夫先生との通信記録」『徳島科学史雑誌』第24号、59~61頁、2005年12月
村上嘉一「第22回国際科学史学会に参加して」『徳島科学史雑誌』第24号、62頁、2005年12月
石原 侑「伊予松山の僧明逸の「通機図解」のこと」『徳島科学史雑誌』第24号、63頁、2005年12月
三原茂雄「俳句と短歌」三原茂雄(64)『徳島科学史雑誌』第24号、64頁、2005年12月

『徳島科学史雑誌』第25号、2006年12月
中村邦光「江戸の科学-日本の近代化の源流をさぐる-」『徳島科学史雑誌』第25号、1~8頁、2006年12月
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術(その2)-平賀源内が遺したと伝えられる相良凧揚げ-」『徳島科学史雑誌』第25号、9~16頁、2006年12月
小林良生「平賀源内相良隠遁説に関するフィールドサーベイ」『徳島科学史雑誌』第25号、17~22頁、2006年12月
安東久幸「高等学校「生物Ⅱ」の教科書にみられる生物学史に関する考察」『徳島科学史雑誌』第25号、23~28頁、2006年12月
続木章三「「科学教育」と技術史-理科教育と技術との関わり-」『徳島科学史雑誌』第25号、29~33頁、2006年12月
三星孝輝「オーム理論の検電器力、起電力、静電ポテンシャルとの関連性を示すコールラウッシュの実験及びキルヒホ ッフの理論的証明-「電圧概念」を正しく教えるために(その3)-」『徳島科学史雑誌』第25号、34~38頁、2006年12月
西條敏美「原子核の大きさ-測り方の科学史(Ⅸ)」『徳島科学史雑誌』第25号、39~45頁、2006年12月
那須俊一郎「素粒子の「力学模型」の発展-SU(2)×SU(2)対称性の探究-」『徳島科学史雑誌』第25号、46~54頁、2006年12月
矢野 忠「Levi-Civitaの記号」『徳島科学史雑誌』第25号、55~58頁、2006年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-和田寧『○表全書』から小出長十郎〈畳率四成表〉へ-」『徳島科学史雑誌』第25号、59~64頁、2006年12月

『徳島科学史雑誌』第26号、2007年12月
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術(その3)-源内の発想に基づく金唐革紙の復原の試考-」『徳島科学史雑誌』第26号、1~6頁、2007年12月
西條敏美「分子運動の速さ-測り方の科学史(Ⅹ)-」『徳島科学史雑誌』第26号、7~12頁、2007年12月
続木章三「ワットと蒸気機関の特許について」『徳島科学史雑誌』第26号、13~17頁、2007年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-球面直象問題の継承・和田寧『求積』から『円理算経』へ-」『徳島科学史雑誌』第26号、18~26頁、2007年12月
木村 章「米通賢と別子銅山の排水問題」『徳島科学史雑誌』第26号、27~30頁、2007年12月
樋浦明夫「第5回田原・アショフシンポジウムとそれにまつわる迂遠な話」『徳島科学史雑誌』第26号、31~38頁、2007年12月
安東久幸「日本の科学史に学ぶ」徳島科学史雑誌』第26号、39~43頁、2007年12月
矢野 忠「武谷三男の著作」『徳島科学史雑誌』第26号、44~45頁、2007年12月

『徳島科学史雑誌』第27号、2008年12月
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術について(その4)-金唐革紙復原のための製作技術-」『徳島科学史雑誌』第26号、1~8頁、2008年12月
中村邦光「江戸の禁書-17~18世紀の漢訳西洋科学書の場合-」『徳島科学史雑誌』第26号、9~13頁、2008年12月
西條敏美「放射性原子核の寿命-測り方の科学史(ⅩⅠ)-」『徳島科学史雑誌』第26号、14~18頁、2008年12月
安東久幸「高等学校「生物Ⅰ」にみられる生物学史に関する分析と導入」『徳島科学史雑誌』第26号、19~24頁、2008年12月
続木章三「『Advancing Physics』に見る科学技術史」『徳島科学史雑誌』第26号、25~29頁、2008年12月
近藤日出男「消滅寸前菊実ダイダイ発見」『徳島科学史雑誌』第26号、30~31頁、2008年12月
談話室
樋浦明夫「F.エンゲルスの「運動の基本的諸形態」(『自然の弁証法』)から見えてくること」『徳島科学史雑誌』第27号、32~50頁、2008年12月

『徳島科学史雑誌』第28号、2009年12月
矢野 忠「広重徹の三段階論批判を考えるⅠ」『徳島科学史雑誌』第28号、1~10頁、2009年12月
矢野 忠「対数とは何か」『徳島科学史雑誌』第28号、11~16頁、2009年12月
西條敏美「地球の内部構造-測り方の科学史(ⅩⅡ)-」『徳島科学史雑誌』第28号、17~20頁、2009年12月
小林良生「古代和紙製造技術に関する考察(第2報)-古代朝鮮の製紙技術及びその日本への伝搬-」『徳島科学史雑誌』第28号、21~28頁、2009年12月
浜谷康郎「[検証]Y染色体のハプロタイプ(亜型)はヒトの生まれ月を決めていたか」『徳島科学史雑誌』第28号、29~32頁、2009年12月
安東久幸「生物学史と生物教育史を背景にした植物採集の意義」『徳島科学史雑誌』第28号、33~39頁、2009年12月
那須俊一郎「物質の運動諸形態について」『徳島科学史雑誌』第28号、40~42頁、2009年12月
田中昭太郎「小出長十郎の研究-和田寧『六約算法』から円理算経 巻之上・術例へ-」『徳島科学史雑誌』第28号、43~49頁、2009年12月
塩谷元紹「「シェルツベドラ」問題の展望」『徳島科学史雑誌』第28号、50~54頁、2009年12月
樋浦明夫「F.エンゲルスの「運動の基本的諸形態」(『自然の弁証法』)から見えてくること(補遺)-ディラックの空孔論の光と翳-」『徳島科学史雑誌』第28号、55~63頁、2009年12月
田中昭太郎、石原 侑、西條敏美「追悼、澤田健吉先生を偲んで」『徳島科学史雑誌』第28号、64~65頁、2009年12月

『徳島科学史雑誌』第29号、2010年12月
矢野 忠「広重徹の三段階論批判を考えるⅡ」『徳島科学史雑誌』第29号、1~7頁、2010年12月
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術について(その5)小間物細工人としての平賀源内-金唐革紙の創製とエレキテルの復原の関連性-」『徳島科学史雑誌』第29号、8~13頁、2010年12月
谷中登希男「香酸柑橘の諸問題」『徳島科学史雑誌』第29号、14頁、2010年12月
近藤日出男「食習の変化がもたらした伊予ユコウ」『徳島科学史雑誌』第29号、15~16頁、2010年12月
塩谷元紹「古高ドイツ語の複合語「スカルティフェダル」の前半部分をめぐる言語学的考究」『徳島科学史雑誌』第29号、17~25頁、2010年12月
安東久幸「ごみの認識の歴史に関する意義」『徳島科学史雑誌』第29号、26~31頁、2010年12月
三原茂雄「鈴木武雄氏の論文「数学者吉川実夫と海軍中佐吉川春夫」」『徳島科学史雑誌』第29号、32頁、2010年12月
西條敏美「東京物理学校初期50年の四国出身の卒業者」『徳島科学史雑誌』第29号、33~35頁、2010年12月

『徳島科学史雑誌』第30号、2011年12月
鈴木武雄「林鶴一とオランダの数学者コルトヴェグ(D.Kortweg)」『徳島科学史雑誌』第30号、1~2頁、2011年12月
大久保茂男「原子核発見100年をむかえて」『徳島科学史雑誌』第30号、3~11頁、2011年12月
矢野 忠「安孫子誠也の武谷三男批判Ⅰ」『徳島科学史雑誌』第30号、12~16頁、2011年12月
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術について(その6)源内焼-型を用いた成型技術-」『徳島科学史雑誌』第30号、17~23頁、2011年12月
斎藤尚武「徳島市佐古町酒造業の変遷」『徳島科学史雑誌』第30号、24~31頁、2011年12月
太田 剛「樋口杏斎と喜田貞吉と狩野君山」『徳島科学史雑誌』第30号、32~43頁、2011年12月
安東久幸「科学史に関する読書とその指導の視点」『徳島科学史雑誌』第30号、44~49頁、2011年12月
塩田元紹「オストレアとしてのスカルティフェダル像」『徳島科学史雑誌』第30号、50~52頁、2011年12月
樋浦明夫「『弁証法の諸問題』の中の諸問題(その1)」『徳島科学史雑誌』第30号、53~61頁、2011年12月
西尾成子「30周年おめでとうございます」『徳島科学史雑誌』第30号、62頁、2011年12月
中村邦光「創立30周年への祝辞-トルコの地中海・エーゲ海沿岸への誘い-」『徳島科学史雑誌』第30号、62~63頁、2011年12月
島尾永康「30周年に寄せて」『徳島科学史雑誌』第30号、63~64頁、2011年12月
石山 洋「『徳島科学史雑誌』30号を祝い、今後の更なるご発展を期待して」『徳島科学史雑誌』第30号、64頁、2011年12月
菊池俊彦「徳島科学史研究会創立30周年を祝って」『徳島科学史雑誌』第30号、64~65頁、2011年12月
鈴木善次「西條先生と僕-科学史と理科教育-」『徳島科学史雑誌』第30号、65頁、2011年12月
高田誠二「歴史と地理」『徳島科学史雑誌』第30号、68頁、2011年12月
八耳俊文「お祝い」『徳島科学史雑誌』第30号、66頁、2011年12月
山田大隆「徳島科学史研究会創立30周年記念にあたって」『徳島科学史雑誌』第30号、67~70頁、2011年12月
田中昭太郎「本会と30年を振り返って」『徳島科学史雑誌』第30号、70~72頁、2011年12月
松本 泉「『徳島科学史雑誌』の思い出」『徳島科学史雑誌』第30号、72頁、2011年12月
小林良生「徳島科学史研究会の30周年に寄せて-30周年総会の印象と私の研究の歩みの自省-」『徳島科学史雑誌』第30号、72~73頁、2011年12月
四宮義正「30周年に寄せて」『徳島科学史雑誌』第30号、74頁、2011年12月
太田 剛「徳島科学史研究会入会のいきさつ」『徳島科学史雑誌』第30号、74~75頁、2011年12月
山田俊弘「地域性と歴史叙述-徳島科学史研究会創立30周年に寄せて-」『徳島科学史雑誌』第30号、75頁、2011年12月
西條敏美「徳島科学史研究会の30年」『徳島科学史雑誌』第30号、76~81頁、2011年12月

『徳島科学史雑誌』第31号、2012年12月
山田大隆「徳島県旧穴吹町(現・美馬市)で探訪した知られざる物理学史の遺跡-アインシュタインの友情の追悼文直筆碑を見る-」『徳島科学史雑誌』第31号、1~6頁、2012年12月
石田純郎「京城医学専門学校長・京城帝国大学総長志賀潔について」『徳島科学史雑誌』第31号、7~11頁、2012年12月
矢野 忠「安孫子誠也の武谷三男批判Ⅱ」『徳島科学史雑誌』第31号、12~17頁、2012年12月
小林良生「丸亀うちわの発達史」『徳島科学史雑誌』第31号、18~23頁、2012年12月
安東久幸「小学校理科教育史にみる性教育の価値観の考察-生物学史と生殖と関連して-」『徳島科学史雑誌』第31号、24~31頁、2012年12月
糸山東一「所感」『徳島科学史雑誌』第31号、32~33頁、2012年12月
樋浦明夫「『弁証法の諸問題』の中の諸問題」『徳島科学史雑誌』第31号、34~42頁、2012年12月
西條敏美「山田延男(1896~1927)の人間像-同時代周辺の人が見た-」『徳島科学史雑誌』第31号、43~46頁、2012年12月

『徳島科学史雑誌』第32号、2013年12月
片山真一「フィボナッチの円周率の計算について」『徳島科学史雑誌』第32号、1~8頁、2013年12月
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術について(その7)」『徳島科学史雑誌』第32号、9~15頁、2013年12月
太田 剛「井上春洋著『亜墨竹枝』から見る栄寿丸漂流事件」『徳島科学史雑誌』第32号、16~28頁、2013年12月
西條敏美「モラエスの諸著作に現れた科学的事項」『徳島科学史雑誌』第32号、29~43頁、2013年12月
安東久幸「生物教育史における生物観の形成と系譜-生物学史との関連より-」『徳島科学史雑誌』第32号、44~51頁、2013年12月
糸山東一「所感(続)」『徳島科学史雑誌』第32号、52~53頁、2013年12月
塩谷元紹「ペンナとフェデラ-「切られた翼」の問題-」『徳島科学史雑誌』第32号、54~55頁、2013年12月
四宮義正「寺田寅彦 ゆかりの地を巡る(1)」『徳島科学史雑誌』第32号、56~61頁、2013年12月

『徳島科学史雑誌』第33号、2014年12月
糸山東一「日本の義務教育社会科教科書の戦争の叙述について-中学校社会科教科書の満州事変の叙述を焦点にして-」『徳島科学史雑誌』第33号、1~5頁、2014年12月
小林良生「讃岐の製紙産業通史(1)平安時代から江戸時代まで」『徳島科学史雑誌』第33号、6~10頁、2014年12月
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術について(その8)-太平洋戦争時開発された風船爆弾の気球原紙としての擬革紙-」『徳島科学史雑誌』第33号、11~13頁、2014年12月
矢野 忠「四元数の発見」『徳島科学史雑誌』第33号、14~20頁、2014年12月
糸山東一「「日本の風土」そして“中国人”観」『徳島科学史雑誌』第33号、21~22頁、2014年12月
四宮義正「寺田寅彦 ゆかりの地を巡る(2)」『徳島科学史雑誌』第33号、23~41頁、2014年12月
西條敏美「アインシュタイン来日当時の雑誌『改造』の記事」『徳島科学史雑誌』第33号、42~49頁、2014年12月

『徳島科学史雑誌』No34
小林良生「タイの手漉き紙技術とカジノキベースの和紙技術の歴史的関連性」『徳島科学史雑誌』No34 pp1-10(2015.12)
小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術について(その9)平賀源内記念館の企画展’秩父との関わり今昔’を巡ってー平賀源内自作の金唐革紙文庫の展示の現代的意義」」『徳島科学史雑誌』No34 pp11-20(2015.12)
矢野忠「他人から見た武谷三男」」『徳島科学史雑誌』No34 pp21-30(2015.12)
三星孝輝「マクスウエルによる電磁場方程式の形成過程-(その1)第1論文’ファラデーの力線について’の概要」」『徳島科学史雑誌』No34 pp31-38(2015.12)
植木一郎「数学的無限から見た数理物理学の歴史」」『徳島科学史雑誌』No34 pp39-51(2015.12)
西條敏美「日本における虹の名称の成り立ちー主虹・副虹・過剰虹ー」」『徳島科学史雑誌』No34 pp52-56(2015.12)
塩谷元紹「中性ラテン語における<tetsudo>の概念の考察」」『徳島科学史雑誌』No34 pp57-61(2015.12)
資料
 中村邦光「科学の日本史ー時代の変化に伴う’科学者’の体質と分野の変遷」」『徳島科学史雑誌』No34 pp62-69(2015.12)
談話室
 三原茂雄「武田丑太郎賞(城南高校数学賞)について」」『徳島科学史雑誌』No34 p70(2015.12)    
 糸山東一「わたしが香川の地に来たころの二,三の思い出」」『徳島科学史雑誌』No34 pp71-73(2015.12)
西條敏美「追悼 科学史家、島尾永康先生の思い出」」『徳島科学史雑誌』No34 pp74-80(2015.12)
四宮義正「寺田寅彦 ゆかりの地を巡る(3)」」『徳島科学史雑誌』No34 pp81-98(2015.12)

『徳島科学史雑誌』NO35 2016.12

小林良生「平賀源内が遺した製紙関連技術について(その10)平賀源内の創製した金唐革紙の擬革紙上に於ける位置付け-金唐革紙から見た紙タバコ入れの歴史-」『徳島科学史雑誌』No.35,pp.1-9(2016.12)
三星孝輝「マクスウェルによる電磁場方程式の形成過程-(その2)第2論文・第3論文などの概要-」『徳島科学史雑誌』No.35,pp.10-18(2016.12)
矢野 忠「他人から見た武谷三男2」『徳島科学史雑誌』No.35,pp.19-25(2016.12)
西條敏美「徳島における明治・大正・昭和初期の女医の基礎資料(Ⅰ)-女医の誕生;徳島における女医第1号は誰か-」『徳島科学史雑誌』No.35,pp.26-39(2016.12)
資料
四宮義正「寺田寅彦と新しい物理学」『徳島科学史雑誌』No.35,pp.40-50(2016.12)
談話室
糸山東一「「先の戦争」の生因に関する歴史的考察」『徳島科学史雑誌』No.35,pp.51-52(2016.12)
塩谷元紹「井上日召-その若き日の科学的関心-」『徳島科学史雑誌』No.35,pp.53-59(2016.12)
追悼特集
西條敏美、田中昭太郎、斎藤尚武、三原茂雄、片山真一、四宮義正「石原侑先生を偲んで」『徳島科学史雑誌』No.35,pp.60-70(2016.12)

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